助産時Yama
助産時Yama

こんにちは、助産師Yamaです‼︎

今回は私の経歴についてのストーリーをお話させていただきます。

私は現在、助産師12年目になります。

妊娠・出産・子育てについての情報発信や個別のサポートをさせていただいています。

私自身、ここに至るまで様々な方と出会い、経験をしてきました。

そこで培った知識や経験を皆様のお役に立てるよう、共有しお届けするための活動をしております。

経歴としては

  • 都内大学病院7年
  • 都内総合病院2年
  • 都内クリニック(パートで1年)
  • 地方総合病院2年

の産科病棟やMFICUで経験してきております。

そしてこの間に約5000人以上の母子と関わってきました。
その中でも出産担当した件数は200件以上あります。


助産師1年目、大学病院へ就職

今から12年前、私は都内の大学病院に入職しました。

そこはいわば様々なリスクを抱えた妊産婦さんが受診し、管理入院や出産をしている場所になります。

私は、助産師として最初に入職する場所は大きな病院がいいなあと思っていました。

それは、様々なリスクを抱えた妊産婦さんのケアや対応を学びたかったからです。

「寄り添ってもらえて安心でした」「お陰で乗り越えられました」など、素敵なお言葉をいただく瞬間もありました。

とてもやりがいを感じ、情熱を持って助産師という仕事に向き合うことができました

そこで7年間勤めたことで、リスクを抱えた妊産婦さんのケアはもちろん、新人さんや学生さんの指導者となったり、病棟のリーダーシップをとり、まとめ役やマネジメントなんかも任されるようになりました。

私が尊敬し信頼をおける上司からの学びもあり、

「徳を積みなさい」との言葉をいただいたことがありました。

「徳」とは、その人の身に備わった品性を意味する言葉です。「徳がある」とは、儲けなど目に見えることだけでなく、思わぬ恵みや恩恵を受けることだそうです。難しい言葉ですが、簡単に言うと「善行を積む」「良い行いを重ねておく」ことと同じような意味合いです。儒教などの東洋思想に顕著な考え方になります。

例えば徳を積むための行動は様々あるのですが、

整理整頓をする、親切にする、困っている日を助ける、ものを大切にする、人の幸せを願う、人と平等に接する、人を敬うなどがあるそうです。徳を積むことで、周囲からの人望が厚くなったり、人脈ができる、物事がいい方向にに進む、前向きになれる、運がよくなるなどがあるそうです。結果的に豊かな人生を送ることにつながるんだそうです。

わたしは20代半ばにこんな素敵な言葉をいただきました。仕事ができるようになって、中堅助産師としてこの言葉を知ったとき、自分の行いを見直しました。

正直、徳を積むにはまだまだなところでしたが、自分の徳について考え、実際に職場の同僚や妊産婦さんとの関わり方についても考えさせられました。

そこでハッと、「人はこうでなくてはいけない」、「こうするべき」という概念がなくなり、

その方のパーソナリティーやバックグラウンドなどを尊重していくことが大切なんだと気付かされました。

また、仕事だけできるのではなく、整理整頓や器の広さや丁寧さなんかも徳を積むには大切なことだと思いました。

その当時私はいわば病棟の現場監督みたいな仕事をしており、事故が起きないよう日々後輩に目を配らせ、時には忙しさのあまりにイライラしてしまう瞬間もありました。

徳を積むと言う言葉を知って、私自身人として成長できましたし、人との関わりの中でとても大切なことを知ることができました。

当時の上司には本当に感謝でいっぱいです。

そして、7年目になってふと、私は妊産婦さんともっと直接関わりたいと思うようになりました。

日々後輩や新人さんや学生さんを介して妊産婦さんと関わる機会が多くなってしまい、自分の助産師の知識や技術が活かしきれず、何か物足りなさを感じてしまいました。

産科クリニックでのパートもしてみたりしましたが、本業との両立が難しく、1年程度で辞めてしまいました。

そこで転職を決意し…

助産師8年目にして転職しました。


都内の総合病院に転職

総合病院は主に無痛分娩やホスピタリティを重視した病院でした。

念願だった転職、ドキドキワクワクの中でしたが、当時世の中に新型コロナウイルスが蔓延し、

医療業界では本当に大変な事態でした。

転職してまもなくそのような環境でしたが、コロナ禍での妊産婦さんの対応はもちろん、そこでは本当に様々な経験ができ、私が求めていた妊産婦さんと直接関わり、ケアをすることも叶えることができました。

都内御三家だったため、芸能関係者さんや経営者さんなども沢山いらっしゃいました。

妊産婦さんお一人お一人とゆっくり関わることができ、無痛分娩の素晴らしさを体感、助産師としての役割も全うし、学びが多い場所でした。

妊産婦さんに寄り添い、様々なコミュニケーションをとる中で

できるだけその方に合ったプランを叶えるという方法でサポートすることができました。

みんな同じようなことをお伝えするのではなく、その方のライフスタイルや思いに合った

妊娠・出産・子育ての知識やスキルをお伝えする大切さややりがいを得られました。

同僚からの信頼も得られて本当にいい環境だったと思います。

そんな中…

お付き合い中のパートナーが地方に転勤してしまい、将来のために私も地方に引っ越すことになりました。

引っ越した当時はdoor-to-doorで3時間かけて都内に通って居ましたが、日々通うのは難しく、泣く泣く退職しました。

彼とは同棲が叶い、プライベートはとても充実していました。

職場は自宅の近くの総合病院へ助産師として転職しました。


悲劇の始まり

転職して早3日、私は心が折れてしまいました

そこは地域の総合病院の産科と婦人科の混合病棟で、妊娠中や出産する方から癌を患った方まで様々な方が入院しています。

そこで何に心が折れてしまったのかと言うと…

治療や使用している物品、考え方全てもが古いことが多すぎて…都内の医療でいうと10年前の医療、いや、昭和の医療だったのです。

都内の最先端で働いていた私には到底驚くことが多すぎて、モヤモヤだらけ、

心も体もついていかないカルチャーショックに悩まされました。

しかし、そこへ受診する方々は、この地域の医療しか知らないので、何の疑問も持たずにその医療を受けているのです。そこにも驚きでした。

地方の医療とはこういうものなのか…

と目の前で突き付けられました。

今までやってきた助産師としての知識や思考、技術が活かせない(業務化が多すぎてその方にあったケアプランを叶えにくい、助産師の活躍の場が少なく、最先端が取り入れられていないため)

ただ日々の業務をやっているだけ

そしてなんと基本給が初任給以下

お休みも少なく、長期休暇を取れても最大3連休で、コロナ流行中は県外に行ったり会食をするのも届出が必要という、なんともプライベートまでもが苦しめられる事態でした。

なんとか働いていく中で、様々な疑問が隠せず、メンタルが落ちていき、助産師としてのアイデンティティを失いかけていました

そんなときに、SNSやブログを通じて発信するというお仕事について知る機会があり、私の助産師としての経験や知識や技術を最大限に活かせるお仕事に出会うことができました。


情報発信をはじめて

情報発信の楽しさと様々な嬉しいお声をいただき、現在の仕事との合間での更新となりますが、助産師としてのアイデンティティを取り戻し、楽しくお仕事をさせていただいています

いつかこの仕事が本業となれるよう、皆様に良質でわかりやすい情報が発信できますよう努めて参ります。

私の助産師としてのテーマである

◎オンライン助産院で助産師があなたにとってより身近な存在に
◎現役10年以上の現場のリアルを発信
◎ 知識やマインドを身につけてあなたに合ったプランで産前・産後がより安心で幸せなモノに

妊娠・出産・子育て時期に抱える漠然とした不安や問題を1つ1つ解決し、

あなたに合ったプランを考案し、女性の一大イベントを安心して幸せに乗り越えられるようにサポートします。

皆様に寄り添いサポートして参りますので、今後ともよろしくお願い致します。

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アドバンス助産師

受胎調節実地指導員

NCPR(新生児蘇生法)

保健師助産師看護師実習指導者講習会修了

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